誰かに遠慮するということ

姉のうつの原因は父子関係にありました。

もちろん、要因は複雑に絡み合っていて

母子関係も特別良好だったとは言い難い。

(と妹の私の目には映ります)

 

姉のうつをきっかけとして

心理のことを学ぶうちに

父の異常性を改めて強く認識するようになり

自分自身の生きづらさの原点も

そこにあるのでは、とぼんやりと

思うようになりました。

 

その時点で、姉と自分を同一化している

ということに、気づいていなかった。。。

 

父が強烈にクレイジーだったのもあります。

今でいうモラハラ親父の典型みたいなところ

ありました。

 

要するに、そういうところに注視するあまり

「きょうだい児」的側面が自分にあるということに

なかなか気がつかなかった。

 

母は、ずっと姉につきっきりでした。

時計(アナログ)の前に母、姉、私の三人で座り

母が姉に「今何時?」と問題を出します。

姉より先に私が答えると

「あんたは黙ってなさい!」と叱られたことを

なぜか覚えています。

 

読書感想文で賞状をもらって帰って母に見せようとしても

料理の手を止めることなく

振り向いてくれることもなく

特段喜ぶ様子もなく

もちろん、褒めてくれることもない。

 

母の関心は常に姉にあったのだと思います。

 

家族で買い物に行き、お小遣い帳に目が留まり

「これ買って」と母のもとに持って行くと

「一冊だけ?お姉ちゃんの分は?ないの?

自分の分だけ?気の利かない子ねぇ」

と言われたこととか。

 

母は常に、姉のお世話をすることを

私に求めていました。

 

同級生の家に遊びに行く、と言うと

「お姉ちゃんも連れてってあげなさい」

と言われるとか。

 

そんな記憶がいくつも蘇ります。

 

私は40代前半で離婚をしているのですが。

当時息子は小学校低学年。

年少さんの時の病気の後遺症で

特別支援学級に在籍していて

私自身、子育てにあれこれ必死な中での離婚でした。

 

離婚後の私のことを母に話していたときも

母は私に姉のことを託すようなことを言いました。

 

なんとなく、それが当たり前のように思っていたので

そんな母に抵抗したり反論したりはしませんでしたが。

心の中では、あー、私がこんなにボロボロの状態でも

母の最大の関心事は姉のことなのだ、と

感じたのを覚えています。

 

そして今、私はガンになった訳ですが。

それでも母は、私の病気よりも

親亡き後の姉のことを心配しているのではないかと

思います。

 

あるいは、姉が一人ぼっちにならないよう

妹の私には生きていてもらわないと困る、とか?

 

私には、常にだれかに遠慮、誰かを優先、

という癖があります。

 

そのだれか、は遠い記憶の中の父親だと思って

カウンセリングセッションの練習などでは

父とのトラウマ解消に焦点を当てていました。

 

もちろん、それによってクリアになった問題も

たくさんありますが。

あれ?結局同じこと繰り返してるかも?

ということあり、そもそも心理セラピーには

限界があるのかもなー、と思っていました。

 

が、そもそものトラウマの原点の見立てが

ずれていたのかもしれません。

 

私は姉に遠慮して生きてきたのだなぁと

今は思います。

 

姉をフォローして生きることを

使命と思い込んでいたんだなぁと。

それが母の期待に応えることだったので。

 

姉との差が付き過ぎないよう

出過ぎる杭にならないよう

出来過ぎないよう、成功し過ぎないよう

幸せになりすぎないよう。

 

私を縛る「呪縛」はそれだったのかも。

 

ということで、セルフセラピー駆使して

自分を解放していこうと思います。

 

 

姉とのことでかかった呪縛を

姉のために学んだスキルで解消していくという不思議。

 

誰にも遠慮しなくていいよー

やりたいことやろー

行きたいとこ行こー

会いたい人に会おー

人生楽しもーーーーーーー!!!!!!!