欲しいもの

欲しいものは全部手に入れる

 

という言葉には貪欲さを感じていたんだけれども。

 

自分の望む幸福を手に入れようと

努力することを

誰に遠慮することがあるだろうか?

 

父は、恵まれた人に嫌悪感を示す一方

苦労の末成功を手にした人が

好きだった。

あるいは、特別勉強ができたわけではないけれど

社会に出てから一定の成功を収めた人とか。

 

恐怖の支配によって

コントロール下にあった

小さい頃の自分のままで

いなくてもいい。

 

シングルマザー期間に

私に手伝わせたいことがあると

「帰ってこい」とよく命令された。

手伝いの内容を知らされていなかったので

パソコンを持たずに帰ったら

「何でパソコンを持って帰らないんだ!!!!」と

理不尽にキレられ

ワシが帰るまでそこで待っとけ!

と命令された。

(父が不在の間に実家に着いた)

 

私には私の予定があり

いつ戻るか時間の見えない父親の都合に合わせて

実家にいるわけにいかなかったんだけれども

多分、父の命令に従ったと思う。

 

直接父親に反論はしなかったが

母に文句を言ったと思う。

 

無力な子どもだった頃から

40年以上たってもまだ

父親を恐れ、父親の命令に背けなかった。

 

 

そして、その父親を、夫に投影している。

 

夫が、増長するのも

無理はない。

 

夫は特別理解のある人間ではない

ごく普通の人間なのだ。

 

 

父は、父の掌の中で成功してほしいと

願っている。

いつまでも、自分のコントロール下に

置いておきたかったのだ。

父の都合に合わせ

利用したいときに利用したかったのだ。

 

もう、そんなものに縛られる必要はない。

 

私は、私のために

私の持つ能力を、フルに使っていいのだ。

誰にも遠慮はいらない。

 

私は、不幸でいる必要はない。

お金に困る必要はない。

 

たくさん稼いで

たくさん世の中のためになって

生まれてよかった、と

感じていいのだ。

 

幸せになるために生れてきたのであって

苦労をするために生れてきたわけではない。

 

欲しいものはみんな

手に入れてもかまわないのだ。

 

家庭か仕事かではなく

子どもか仕事かでもなく

両方、全部、思い通りのものを

手に入れていいのだ。

 

私は私。

誰の期待に応えなくてもいい。

自分の期待に応えるだけでいい。

 

私ならできる。

 

もう、小さくなって怯える自分とは

サヨウナラだ。