カウンセリングセラピーのワークに
エンプティチェア というのがあります。
直訳は空っぽの椅子
誰も座っていない椅子。
その椅子に、だれか
(母親、父親、自分自身、など)が
座っているとイメージして
その人に向かって
問いかけたり、答えたりするワークです。
不思議なことに、
言おうとするとどうしても言えない言葉や
言葉にすると、涙が止まらなくなってしまう言葉が
あります。
やり方がわかっていれば
セルフワークも可能ですが
ファシリテートしてくれる方がいると
より深い内部対話が可能となります。
私自身の一番最初の大きな病気は
脳下垂体前葉にできた
わかったのは17歳の冬でした。
そして、今(3年前)ガンがわかりました。
(詳細は省きますが)どちらも、
女性性に関係していることは明白です。
女性であることを認め、楽しむ。
これは、父親によって強く禁止されていたことの
ひとつです。
最初の結婚の時も二度目の今も
結婚してから、身なりにかまわなくなる
という現象が現れます。
自分では、そう強く意識はしていなくても
髪型にこだわったり
しっかりメイクをしたり
家の中でも着るものにこだわったりすることは
妻としてふさわしくない行為、
という思い込みがあるのだと思います。
女性であるということは
女性であるがゆえの「不遇」に耐えること
という思い込みも大いにあります。
変えていきたい部分の一つです。
久しぶりに、ゲシュタルトの祈り
私は私のために生きる
あなたはあなたのために生きる
私は何も、あなたの期待に応えるためにこの世に生きている訳ではない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた素晴らしいことだ。
フレデリック・パールズ
この祈りが素敵だと思うポイントの一つは
あなたと私が対等であること。
あなたのために生きているんじゃない!
と言うならば
相手に「私のために生きて」と願うことは矛盾するし
私の期待に応えてよ!
と望みながら
あなたの期待には応えられないわ
と切り捨てることもまた矛盾する。
期待に応えてくれない相手の期待には添わなくていいし
オレ様はオレ様、という態度の人間に対し
自分を差し出す必要はない。
あなたがあなたなら、私は私。
あなたが私の期待に応えるために
生きている訳じゃないなら
私もあなたの期待に応えるために
生きなくてもいい。
いつも、誰かを優先して
遠慮して生きている人の心を
解放してくれる祈りです。